成田山参道 なごみの米屋
なごみの米屋を味わう
-商品のご案内&ショッピング なごみの米屋を探す
-店舗のご案内 なごみの米屋を知る
-なごみの米屋について なごみの米屋を楽しむ
-施設・イベント
なごみに米屋を知る
企業理念
なごみの米屋宣言
創業者 諸岡長蔵と成田山
米屋のあゆみ
企業情報
お問い合わせ
創業者 諸岡長蔵と成田山
創業者誕生と米屋の発祥
創業者、諸岡長蔵は1879年(明治12年1月生まれ)代々米穀、雑貨を営む米屋の父啓蔵、母なつ夫妻のもと、一男三女の諸岡家9代目の長男として誕生しました。
母なつは長蔵と相談し、一升瓶に詰めて家庭の祝事用に保存してあった小豆5合と、父の病気見舞いに戴いた砂糖を活用して、成田山新勝寺の精進料理「栗羹」よりヒントを得て、下総台地の芝栗を煉り込んだ栗羊羹を、台所で造り、販売を試みました。日本で最初に考案された栗羊羹です。
販売を母なつから任された長蔵は新婚間もない20歳でした。当時の成田山門前では15〜16軒の羊羹製造販売業が乱立しており、粗悪品を「値引」、「掛売り」、「呼び売り」、「おまけ付き」の激しい商いをしていました。そんな中長蔵は「一切値引きせず」、「値切る方お断り」の信念を貫いて在来の商法とは正反対の方針を打ち出し、定価主義を実践しました。
中間的な手数料や金利、その他一切の冗費を省き、あくまで顧客本位の商法で薄利多売、品質本位で値引きの余地の無い栗羊羹を造り「売るのではなく」、「買っていただく」という原価ギリギリ一杯で定価を設定する商法は、次第にお客様の信頼を得て、今日まで成田山参道の名物として多くの方々にご愛顧されています。
諸岡商法
“人が喜ぶ”経営と商法を理想とした諸岡商法
米屋の信条
(長蔵直筆)

ページトップへ
長蔵の人柄
質素として清廉に生き、「人を助けて、わが身助かる」を信念として公共福祉のために余財を寄付しつづけ一生涯を送りました。特に道路補修に関しては33歳から晩年にいたるまで実施し、市内100箇所以上、全長7234mの道路を自ら労働して補修し、その他多くの公益事業へ多額の寄付を行いました。
とりわけ廣池千九朗博士の研究に深く共鳴した長蔵は、20余年モラロジー(最高道徳)研究の財政援助をしました。研究費・出版費はもとより、生活費・病気療養費・その他基本雑費一切に渡り行いました。この公私に渡る厚い援助により廣池博士自ら「モラロジーの母」と名づけられました。
その他、時の文部大臣の認可を受け、諸岡報恩会という公益財団(当初基金10万円)を私費をもって1940年(昭和15年)に設立、主として奨学金の支給を行い現在も継続されています。
諸岡謝恩会設立申請書
(諸岡謝恩会設立申請書)
率先労力奉仕する長蔵
率先労力奉仕する長蔵
廣池博士直筆の楽焼
廣池博士直筆の楽焼
詳しくは山本素石著 『己れに薄く、他に厚く 商人・諸岡長蔵の生涯』 (発行所:株式会社立風書房)を
ご参照ください。
※お問い合わせは、なごみの米屋成田羊羹資料館(TEL:0476-22-2266)

ページトップへ
成田のお不動様となごみの米屋
成田山新勝寺の不動明王のご尊像は、永禄年間の初期に成田村名主「諸岡三郎左衛門」(なごみの米屋の遠祖に当たる)が、一時自分の屋敷内に仮堂を建て奉安していました。その近くに清水の湧く井戸があり、不動尊が遷された後にも新年の若水を役僧が汲みに訪れ、この慣習は明治末期まで続いたそうです。
この史実にもとづき諸岡家ではその地を代々清浄な地として手厚く保存維持して参りましたが、9代目長蔵、10代目謙一の代になり、お不動様のご利益に感謝し、「成田不動尊御遷座之旧跡地」として石碑による記念碑を建立し、更に石像による平成水守不動尊と脇待2尊を造立し、現在「お不動様旧跡庭園」として整備し一般公開しています。特に4月の第2土曜日から4月29日まで日祭日の6日間野点の茶会が同庭園で開催され好評を博しています。
また往事お不動様に朝夕お供えしていた湧水の井戸を復元し、不動の大井戸として湧水が筧より年中流れ出ており、近郊の皆様が水取りに来るほど人気を得ています。
平成水守不動 開眼法要(平成4年4月5日)
平成水守不動 開眼法要(平成4年4月5日)
不動の大井戸茶会の様子
不動の大井戸茶会の様子

ページトップへ
 
サイトマップ プライバシーポリシー 企業情報 採用情報 関連リンク お問合せ
コピーライト